GPフローレンスにおける齋藤プロのDQ裁定は多くのプレイヤーに衝撃を与えた。
それはいたずらにプレイ時間をかけてしまうと、うっかり受賞資格を失う大会除名処分が下るかも知れないという可能性が示されたからだ。

まず個人的に、齋藤プロとは10代の頃、一緒にプロツアーに行った縁があり、基本的には全面的に彼を信用していた。
しかしその後のAPAC問題に続く2度のDQで、一時期彼への信頼はとても低くなった。
当時は「これはもう十中八九、MTGに戻って来ないだろうな」と思っていたが、彼は出場停止期間中もマジックへの情熱を失う事無く、以前に増して愛情を持って復帰した。
入れ替わるように私がMTGを引退してからも、変わらぬ愛情とより一層の努力をもって世界の第一線で戦い続け、その結果今年の殿堂入りを果たした。
さらに今は従業員を雇い社長業までこなす日々だ。
そういう彼だからこそ、追放される恐ろしさや不正に手を染める事への愚かさ、信用の重要性は誰よりも知っているはずだと思う。
なので現在、私は彼を擁護する側にいる。

DQの決め手となったのはラウンド中に2度ゲームスピードが変わったという事だけれども、悪意があったのか無かったのかは「印象」でしか判断されないし、頭の中を覗けるわけでなし、本人以外は絶対に判り得ない。
彼にとって不運だったのは「残り時間を確認」した後、「勝敗を分けそうな戦闘が行われ」「色々なケアをしながらブロックを考えていたら」、試合終了後にDQになった点である。
事前に1度警告があり、この試合でもジャッジが横について「早くプレイして下さい」と催促されながらそれでも尚ゆったりと時間をかけてプレイしていたならば、私は彼の擁護を止める。
しかし、1度目の警告や大規模な戦闘があったターンにジャッジが「早くプレイして下さい」と促していないならば、かなり言いがかり的な裁定だろうと思う。
誰にとっても起こり得る、地雷のような裁定。
個人的にはよっぽどでない限り、DQじゃなくマッチロスでいい気がする。

今回の事で一つ学んだことがある。
それは「声に出して時間を確認してはならない」という点だ。
そんなルールは無いし、絶対というわけではないけれど、残り時間が微妙な状況ではあらぬ疑いが掛けられてしまう事だってある。
その猜疑心は「時間を確認する態度」を示す事でより強化される。
この対応策はただ一つ。
声に出して訊くのではなく、用意した自分の時計で時間を確認するしかない。
これは断じて時間稼ぎを推奨しているわけではない。
だがDQへの原因根拠として「時間を確認した事」が挙げられている以上、これまでのように気軽に時間を訊ねるという行為には危険が伴うと言う事が明らかになった。
プレイヤーが出来る予防策として「早くプレイする」以外では「時計を用意する」が最も有効だろう。
私自身、リミテッドではかなり時間を必要としている(そのうえ下手だ)。
プレイ速度を速めたつもりでも、他人の目にはそう映らないかも知れない。

そして本来、時間という単位の決まったものに対しては、総量によって判断されるべき問題であるにも関わらず「どれくらい時間を掛けていたか」という点において明確な指摘が無いまま裁定が下された事が、今回の裁定に対する賛否両論を招く一因となっている。
これについてはMTGが競技性に力を入れるなら、将来的にチェス時計のように明確な持ち時間を明示する必要があるだろう。
方法論はともかくとして、現在のような主観に基づくファジーな事象を、より明確にし裁定と直結させるべきだ。
今のままでは単なる「協議」でしかないし、それが出来て初めて「競技」なんじゃないかな。

コメント

俗

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索