GPマイアミ 観光&帰国編
2013年7月9日 MTG海外遠征
7月1日(月)
マイアミ最後の日。
ゆったり起きてのんびり朝ごはん食べて、ビーチに行って肌を焼く真似事をした。
同室のボゥリガが日焼け止め貸してくれてメチャ良い奴。日焼け止め無いと死ぬぞって言われて、本当にその通りだった。
移動前日に観光するのが定番パターンになりつつあるんだけど、調子に乗ると体調崩して移動に差し障るからビーチで遊ぶのは昼1時くらいまでにしておいた。
その後、同じ宿に居た日本人女性に会って少し話した。
ベッドに戻ってのんびりしていたら、ボゥリガが「海行こうぜ海。泳ぐんだ。ここはマイアミだぞ」って言うもんだから付いて行く。
途中で彼が日本人の女の子を海に誘っていたけど、今日はプールで充分だと断られたようだ。
私は海で泳ぐのは子供の時以来なんで憶えていない。ほぼ初めてと言っていい。
男二人で海に繰り出しても別にホモホモしいという事は無い。
日本の浜辺と違ってあまりに広いものだから、人と人との間隔が十数メートルもある。
声の届くぎりぎりの距離で強めの波と戯れる。戯れるっていうか大げさだけど自然と戦う感じ。アメリカの自然は規模が大きい。
プールと違って波があるから泳ぎづらいし、しょっぱいし目も痛い。慣れてないと難しいもんだ。
おかげで顔が真っ赤になった。そして泳いだ後のビール、最高に美味い。
夕方のスコールの後、晩御飯はヒスパニックが食べる食事を選ぶ。赤豆ごはん、グリル野菜、魚のフライ香味野菜ソースがけ、ローストチキンを食す。
やはりスペイン語使う民族は鶏肉料理の味付けが上手い(確信)
ヒスパ飯はコスパも良いし、米食うから親近感もある。
ボゥリガが「俺のサンドイッチは食えないってのか」って冗談で言って来たけど、いい加減パンと牛肉は食い飽きてて米と魚が食いたい。
夜はさらにボゥリガが「みんなでスペイン音楽聞きに行こうぜ。たった2時間だけだから朝も大丈夫」って言うけど、正直行きたくない。
明日は朝4時起きなんだよ。無理すると体調崩すんだよ。寝過ごしたらチケット取り直しで余計な出費だよ。ジョンも同じ時間に起きて空港行くんだろ?
って言いながらも結局はバスで移動してバーに入り、少し待っていたら音楽が始まった。
ジョンが「65歳の俺が大丈夫なんだから半分も生きてないお前が心配する事は無い。かもーん」って言うから「…クレイジーガイズ」って返しておいた。
もっとルンバみたいな陽気な音楽を予想していたんだけど、スペイン語と英語のロック&ブルースで、若い女性のヴォーカルはいまいち。
逆に歳の行ったおっさんや爺さんの楽器演奏は超上手い。特にハーモニカのおっさんはニューオーリンズやシカゴでも聴いたことないレベルで、流しで食って行けるレベルは相当すげぇなぁと感動した。
ところで全然2時間じゃ済まなかった。まぁ覚悟はしていたけどね。
日付が変わるちょっと前に戻り、ジョンと私は就寝。ボゥリガはまだ飲み足りないとゲストが集う中庭へ。
40分くらいすると部屋のドアが開いて、今朝の日本人女性とボゥリガが入って来た。
ジョンと私にお別れの挨拶に来たって言うけど、あんたこんな時間に男の部屋にホイホイ入って来たらレイプされてもそれは合意って判断されるぞ?
彼女の危機意識のラインが分からないけれど、とりあえず普通にお別れの挨拶して就寝。
7月2日(火)
午前3時55分に起床。ホテルを午前5時に出て空港へは15分で着く。
まだ午前6時前だっていうのにセキュリティの前には長蛇の列。ホントこの国の空港はテロ以来長蛇の列を作るようになったなぁ。もっと待ち時間を減らすよう職員を増やして欲しい。
40分くらい待って、6時過ぎにはセキュリティを通過。
まだ開いているお店も少なくて、しかもまともそうな中国飯の店で供されるのはベーコン・オムレツ・クロワッサン。粽や炒め物は無い。もう中華屋の看板外せ。
シナモンロールとコーヒーとPCで出発まで時間を潰す。
マイアミからダラスへ移動し、心配していた国際線への乗り継ぎはものすごく簡単だった。
しかも定刻通りに発着し、出国手続きも無いし、ターミナル間移動も無い。というかダラスでは到着ターミナルの30m隣が日本への出発ターミナルになっていて、ものすごく簡単だった。
2時間20分の乗換え時間がここまで長く感じたのも初めて。
日本行きの飛行機内では隣に外交官の家族が座った。彼らは休暇で一時帰国するようで、アメリカに住むと便利な事や不便な事などいろいろと教えてもらった。
話した結論から言うと、やはりアメリカは旅行に最適で、永住はしたくない国ということになった。
写真1:マイアミビーチ。広くてこの時期は特に込み入る事が無い。
写真2:大通りで朝から売られている野菜や果物。日本でもお馴染みのものもあります。
写真3:アールデコ様式のホテルに囲まれたコリンズ公園。夜のライトアップ。
マイアミ最後の日。
ゆったり起きてのんびり朝ごはん食べて、ビーチに行って肌を焼く真似事をした。
同室のボゥリガが日焼け止め貸してくれてメチャ良い奴。日焼け止め無いと死ぬぞって言われて、本当にその通りだった。
移動前日に観光するのが定番パターンになりつつあるんだけど、調子に乗ると体調崩して移動に差し障るからビーチで遊ぶのは昼1時くらいまでにしておいた。
その後、同じ宿に居た日本人女性に会って少し話した。
ベッドに戻ってのんびりしていたら、ボゥリガが「海行こうぜ海。泳ぐんだ。ここはマイアミだぞ」って言うもんだから付いて行く。
途中で彼が日本人の女の子を海に誘っていたけど、今日はプールで充分だと断られたようだ。
私は海で泳ぐのは子供の時以来なんで憶えていない。ほぼ初めてと言っていい。
男二人で海に繰り出しても別にホモホモしいという事は無い。
日本の浜辺と違ってあまりに広いものだから、人と人との間隔が十数メートルもある。
声の届くぎりぎりの距離で強めの波と戯れる。戯れるっていうか大げさだけど自然と戦う感じ。アメリカの自然は規模が大きい。
プールと違って波があるから泳ぎづらいし、しょっぱいし目も痛い。慣れてないと難しいもんだ。
おかげで顔が真っ赤になった。そして泳いだ後のビール、最高に美味い。
夕方のスコールの後、晩御飯はヒスパニックが食べる食事を選ぶ。赤豆ごはん、グリル野菜、魚のフライ香味野菜ソースがけ、ローストチキンを食す。
やはりスペイン語使う民族は鶏肉料理の味付けが上手い(確信)
ヒスパ飯はコスパも良いし、米食うから親近感もある。
ボゥリガが「俺のサンドイッチは食えないってのか」って冗談で言って来たけど、いい加減パンと牛肉は食い飽きてて米と魚が食いたい。
夜はさらにボゥリガが「みんなでスペイン音楽聞きに行こうぜ。たった2時間だけだから朝も大丈夫」って言うけど、正直行きたくない。
明日は朝4時起きなんだよ。無理すると体調崩すんだよ。寝過ごしたらチケット取り直しで余計な出費だよ。ジョンも同じ時間に起きて空港行くんだろ?
って言いながらも結局はバスで移動してバーに入り、少し待っていたら音楽が始まった。
ジョンが「65歳の俺が大丈夫なんだから半分も生きてないお前が心配する事は無い。かもーん」って言うから「…クレイジーガイズ」って返しておいた。
もっとルンバみたいな陽気な音楽を予想していたんだけど、スペイン語と英語のロック&ブルースで、若い女性のヴォーカルはいまいち。
逆に歳の行ったおっさんや爺さんの楽器演奏は超上手い。特にハーモニカのおっさんはニューオーリンズやシカゴでも聴いたことないレベルで、流しで食って行けるレベルは相当すげぇなぁと感動した。
ところで全然2時間じゃ済まなかった。まぁ覚悟はしていたけどね。
日付が変わるちょっと前に戻り、ジョンと私は就寝。ボゥリガはまだ飲み足りないとゲストが集う中庭へ。
40分くらいすると部屋のドアが開いて、今朝の日本人女性とボゥリガが入って来た。
ジョンと私にお別れの挨拶に来たって言うけど、あんたこんな時間に男の部屋にホイホイ入って来たらレイプされてもそれは合意って判断されるぞ?
彼女の危機意識のラインが分からないけれど、とりあえず普通にお別れの挨拶して就寝。
7月2日(火)
午前3時55分に起床。ホテルを午前5時に出て空港へは15分で着く。
まだ午前6時前だっていうのにセキュリティの前には長蛇の列。ホントこの国の空港はテロ以来長蛇の列を作るようになったなぁ。もっと待ち時間を減らすよう職員を増やして欲しい。
40分くらい待って、6時過ぎにはセキュリティを通過。
まだ開いているお店も少なくて、しかもまともそうな中国飯の店で供されるのはベーコン・オムレツ・クロワッサン。粽や炒め物は無い。もう中華屋の看板外せ。
シナモンロールとコーヒーとPCで出発まで時間を潰す。
マイアミからダラスへ移動し、心配していた国際線への乗り継ぎはものすごく簡単だった。
しかも定刻通りに発着し、出国手続きも無いし、ターミナル間移動も無い。というかダラスでは到着ターミナルの30m隣が日本への出発ターミナルになっていて、ものすごく簡単だった。
2時間20分の乗換え時間がここまで長く感じたのも初めて。
日本行きの飛行機内では隣に外交官の家族が座った。彼らは休暇で一時帰国するようで、アメリカに住むと便利な事や不便な事などいろいろと教えてもらった。
話した結論から言うと、やはりアメリカは旅行に最適で、永住はしたくない国ということになった。
写真1:マイアミビーチ。広くてこの時期は特に込み入る事が無い。
写真2:大通りで朝から売られている野菜や果物。日本でもお馴染みのものもあります。
写真3:アールデコ様式のホテルに囲まれたコリンズ公園。夜のライトアップ。
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