一時間おきに行われるフリーモント通りの電飾けばけばしい天井パフォーマンスと、とうるさくてたまらないホテル横のライヴを眺めた後、ホテルの1FでWheel of Fortuneというスロットに100ドル札を入れたら、派手な電飾が始まり5分後に3倍になって帰って来た。
え?グランプリ64位入賞と同じじゃないですかコレ。
タダ酒だー。
配当を現金に換えるのにも酒を買うにもパスポートが必要とか言われる始末。
なんか高校生くらいに見えるそうな。
その倍くらいあるおっさんですよ。

カルマ放出?いや、オカルトなんで信じないし。
今日やること
・会場までの下見
・カードリストの把握
・まともな食事(バフェィ)を食べる
・ワンチャンでシルクドゥソレイユ鑑賞→木金とお休みでした

ラスベガスのバスはダイヤが超適当なので乗らない。
特に本戦それで遅刻したら何しに来た…ってなるから、貴族気分でタクシー使う。
30分くらい歩けるだろうがそれが命取りらしい。
確かにフレモント通りからちょっと横に逸れると暗いし危ない。
明日は朝一番でレジスト行って絶対マット貰う。

追記:砂漠ナメてた。
会場まで1㎞ぐらい、こんなんすぐっしょとか思ってた自分はアホ。
ひどい吹雪の中では数メートルですら寒さと方向感覚の喪失で遭難するのに、同じ極限環境の暑い方をナメておりました。
視界は良好ですが、太陽を遮るものが無いってこんなにキツいんですね。
直射日光、熱風、コンクリートの照り返し…乾燥がこんなにも凶悪だなんて知りませんでした。
歩き出してすぐに買った750mlのペットボトル水(キンキンに冷えたやつ)が20分で温くなり、目的地のキャシュマンセンター会場に着いた時にはお湯のようになってしまうのです。
砂と汗でベトベトになり気持ちが悪い。
帰ろうにもタクシーが見当たらず根性で歩いてきたわけですが、かなり疲れてしまい、今夜行こうと思っていたCrazy Girlsのショーは自粛。
仕方ないからその分、月曜に行くシルクドゥソレイユの席をvipに格上げする。
おまけに携帯IDPASS制じゃないのでスマホとノートの両方使うとしたら倍の料金が掛かるとか。落胆。

普通以上の部屋に泊まるとwifiが有料かつ使い勝手悪いのが困りますね。
ブラウザ変えたらワンチャン。
新千歳〜成田〜ロサンゼルス〜ラスベガスの旅程。
しかしいきなりJALがストライキと機体整備トラブルによる遅延。
おいおい、幸先悪いなぁ・・・。
8月19日(日)インディアナポリス快晴
GENCON最終日。会場撤去の関係で物販ブースは午後3時で終わるため、開場時間前から数多くの人が群を成していた。
自分もそれに加わり、かわいいコスプレ娘と談笑しつつ、開場を待つ。
同じ部屋の関西人コンビは前日の1000ドルトーナメントに勝ち上がり、片方は2位、もう片方もベスト8をかけたバブルマッチまで勝ち上がっていた。
そのせいか朝食後に帰って来た彼らは酷い疲れ顔で、午前中は寝て過ごすと言った。
同じホテルにはSCGのスタッフが(しかも隣の部屋に)泊まっていたり、他のTRPGの日本勢が泊まっていたりした。
朝食時に連絡先を交換したので、今後はボードゲームイベントなどについても色々教えてもらえそうだ。

この日の行動は、朝のうちは南北戦争の慰霊碑を眺めに行ってその足で酒屋を探した。
日本に輸入されるワインは検疫の関係からか、酸化防止剤(亜硫酸塩)が入っている。
これが多いとせっかく元々は美味いのに味が損なわれるようだ。
だから海外のお土産は可能ならば現地で飲まれているワインをお勧めする。
以前レベル3にお土産で貰ったことがあるけれど、結構うまいのに安い。
しかしここでも問題があった。
日本では24時間コンビニで酒が買えるが、アメリカでは州によってお酒の扱いがまるで違う。
ここインディアナ州では土曜22時から月曜朝3時までの間には、ボトルに詰められた酒を売ってはならないという法律があったのだった。
その他には選挙の投票が終わるまで酒販売禁止だったり、酒瓶は箱か紙袋に入れて売らないとダメだったり、日曜でもグラスやジョッキにサーブされる酒は販売OKだったり、その辺の感覚が日本人である自分としてはよく分からない。
たぶんサーブして売る酒が許可されているのは、店側で泥酔客相手に売らない調節が出来るからだろうか?
結局酒屋は見つかるも、件の法律のせいでインディアナ州では買えずワシントンダレス買うことにした。
それと日本の知人からアメリカの薬局で売ってるサプリ的なものを銘柄指定で買いに行くお使いもあった。
各々売ってる場所が全然分からないのでその辺の人に「酒と薬を売ってるとこある?」って訊いたら驚かれた。
一瞬空気が止まって「あ、これは聞き方まずかったか。本当に通報対象だ」と気付き、その場をやり過ごした。

昼間は会場が閉まるまではひたすら物販で買い物。
コスプレイヤーは最終日だけあってちょっと少なめで、売れ行きがイマイチだったボードゲームはディスカウントの嵐。
まぁそんなに面白くないから売れないし、売れないから安くなるわけなんだけど、中にはゲームが面白いのに商売が下手で売れ残っているものもあるはず。
時間と持ち帰り荷物のスペースが限られているので、あまり掘り出し物を探さないでインストが簡単なPENTAGOというゲームとカタンのちょっと大きめを買った。
どちらも日本で買うより安いし、PENTAGOの4人用は日本で見たことも無い。
ちなみにこのPENTAGO、オフィシャルで1000ドルトーナメントとかやっていて、会社が流行らそうとする意思を感じる。
まだあんまり遊んでないんだけど、2~4人で遊べるゲームなので、今度だれか遊びましょう。

そして会場が閉まって夕方から夜はセンターサークルモールでお土産を調達。
食い物はあまり美味しいものが無く、仕方ないのでアメリカっぽい飴とかGODIVA(アメリカ仕様)を購入してホテルに戻る。
ホテルに戻ると翌日の太陽が昇る前から離陸する帰りの便のために寝た。

振り返ってみると土曜と日曜しかGENCONでマジック以外のゲームに触れておらず、やはり初日からいろいろ活動的になった方がより幸福度が高かった。
マジックのプレミアイベントは珍しいけれど、サイドイベントだけなら内容は大して変わらず、勝って貰えるパックもM13だったので今回はあまり魅力的じゃない。
それよりもGENCONという特別なイベントを楽しみ倒した方がお得感ある。
イベントに出て得られる楽しさはプロツアーより絶対GENCONの方が楽しい。
喜びの度合いは3回プロツアーに招待されるよりGENCON1回に招待された方が嬉しい。それくらい刺激的だ。
みらこーさんがプライベートで3年連続GENCONに参加してるって聞いたけど、それも納得の楽しさ。
来年に向けてお金を貯めようと思う。
GENCON参加記録 8月18日編
GENCON参加記録 8月18日編
GENCON参加記録 8月18日編
8月18日(土)インディアナポリス晴れ
誕生日を迎えた自分には祝福の言葉もバースデーケーキも無い。あるのはGENCONイベントだけだ!
という事で今日は物販ブースで買い物と、コスプレイヤー撮影とナンパ?が主な行動だった。
物販ブースは初日からチェックしていたが、MTG相場的に本格的に値段が動いた日だった。
それと書き忘れてたけど、物販ブースが本当に広い。グランプリ会場1.5倍くらいの規模で全部がお店。
マジック専門店は10~14くらいだったけど、それぞれが離れていて会場の隅から隅まで移動しないと無い。
コスプレ専門店、MTGイラストレーターゾーン(色々と10人くらい来ていた)、各種ボードゲームの売り込み、ボードゲーム用の家具屋さん、HENTAIアニメの海賊版DVDショップetc…
そんな中でも大きな衝撃だったのが3つある。

1つ目は「ダイス専門店」の存在だった。
TRPGがメインのGENCONでは、サイコロが持つ意味合いは日本とはまるで違う。
TRPGのタイトル毎に合わせたサイコロを取り揃えるダイス専門店がいくつも軒を連ね、開店から閉店まで客足が途絶えることが無い。
その店構えはどれも独創的で美しく、大小さまざまなダイスが綺麗に陳列されているその姿は宝石商と言っても過言ではない。
サイコロ売って飯を食う。そんな夢のような商売がアメリカでは成立していた。
※画像1、2参照

2つ目はハイレベルなマネキンの存在。
マネキンというのは服を着せる人形ではなく、会社の製品を売るために展示会で商品説明をしたりお客さんとゲームプレイや交渉したりMCをしたりする人の事だ。
高級車の展示会などでは、セクシーな衣装を着たナイスバディなお姉さん達が自社製品のプロモーションをしたり、車の性能を説明する。
それをボードゲームで行っちゃうのがアメリカ人。
採算取れているのかは謎だけれど、ゲーム販売会社の女性社員やモデル会社からのスタッフを調達して、男性オタクの鼻の下を伸ばさせながら商品をアピールするという。
正直ゲームのルールよりそのめくれそうなギリギリ紐ブラとかの方がよっぽど気になる。彼女達の存在は会場のいたる所で散見された。
しかしカタンや1000ドルトーナメントが行われるような格式あるボードゲームの売り場にはセクシーなマネキンは居なかったので、ボードゲーム業界の新興企業が注目を集めるために仕掛けた広告戦略なのだろう。※画像3参照
それだけに売れないボードゲームも無数に存在し、定価40→30ドル→15ドル→5ドル→3個で10ドルのようにどんどん投売りもされた。
アメリカ資本主義を垣間見た。

最後は託児所の存在だ。
アメリカではオタク文化は世代間で受け継がれ、子供が居るからと言って、大人がこういうイベントから遠退いたりしない。
日本ではキモオタは結婚はおろかお付き合いすら出来ないという現象が起き、出産適齢期にマッチした結婚が少なく、オタク趣味が家族全体の趣味として成立するケースは稀だ。
そしてGENCONは参加するだけでも数十ドルの高いパスを要求される為、低所得者層が家族ぐるみで会場に居られるほど貧乏に優しくは無い。そこには入場料という資本主義ファクターがある。
しかし結婚して子どもが出来ても、オタク文化のイベントが乳幼児向けの託児所を用意することで、業界の先細り要因を一つ排除出来るし、親子が選ぶレジャーの選択肢の一つにゲームというものを用意できる。
さらに子供がある程度言葉が喋れるようになれば、幼稚園児~小学生向けのゲームを扱う会社(MayfairGamesなど)が将来のユーザーを囲い込むためのプレイングスペースを用意している。
振り返ってみて日本のコミケなどには託児所はあるのだろうか?
単なるエロ本の大流通イベントにとどまらず、次の世代を取り込む努力も業界として必要なのではないだろうか、等と考えさせられた。

食事を済ませMTGの買取に目を光らせていると、お目当てのカードの相場が下振れして来た。
終末に増えた来場者が資金調達の為に高額カードを売りに出しているせいだろう。
ほぼ全てのMTG取扱店と下限と思われる相場からさらに交渉を重ねて、期待以上の成果が引き出せた。
日本でもプレミアイベントでカードの売買が合法になれば良いのにと思ってしまう。
その合間にも素晴らしいコスプレイヤーの撮影と談話を混ぜつつ、物販終了時刻の午後6時からはTCGplayer.com主催の1000ドルトーナメントに参加する。
午後6時が開始のはずだったのだが159人もの参加者が集まってしまい、数多く開かれている他のサイドイベントとの兼ね合いで充分な席が確保出来るまで2時間ほどかかった。
開始は午後8時、予選ラウンドが終わるのが翌朝5~6時予定という狂気のイベントに成長した。
私の成績は1-2ドロップ。ベスト8の目が無くなるのならさっさと違う事に時間を使った方が有用だ。
デッキは昨日と同じなのに、1R・3Rでマリガン回数計10回という悲しみに包まれた。
マジックの成績はイマイチでもGENCONを最も楽しめた1日だった。
8月17日(金)インディアナポリス曇り後雨
GENCONはマジックのイベントに非ず。
マジックはGENCONの多彩な魅力の一部分に過ぎないのだ。
そうは言ってもはるばる日本からマジックで戦いに来ている以上、目的のイベントに出られなくても何かの痕跡は残して帰りたい。
そこで私が選んだ行動はサイドイベントの「M13コンプリートトーナメント‐スタンダード」だった。
自分で練り上げたレシピでは無いけれど、いやだからこそ製作者に何かの感想を伝える為にも勝ちに行く行動は必須だった。
結果は5-0-1で予選2位。決勝トーナメントで準決勝敗退のベスト4だった。
選択したデッキは「ほぼ青単ターランド」。
高速、中速問わずクリーチャーデッキには相性が良い。(ただし感染、君は話が別だ)
決勝ラウンドがあるとは知らず、予選の最後のラウンドまで戦ってしまって余計に時間が掛かった。まわりはみんなIDしてたのに。
Delver、ゾンビ、ステロ辺りを上手にたいらげて準決勝に当たった相手は化石みたいな「青白コン」。
《終末/Terminus》4、《審判の日/Day of Judgment》4、《清純のタリスマン/Pristine Talisman》4、《ギデオン・ジュラ/Gideon Jura》に《月の賢者タミヨウ/Tamiyo, the Moon Sage》といった「なんでこんなのがベスト8に・・・」みたいな感じのデッキだった。
コイツは予選ではギリギリの7位というオポ成績で滑り込んだ奴で、ベスト8を見渡せば右も左もクリーチャーデッキだらけ。
私との対戦も、こちらが4ターン連続で続けてプレイした《聖トラフトの霊/Geist of Saint Traft》を、空手から《終末/Terminus》か《審判の日/Day of Judgment》を4ターン連続で引き当てるという酷い引きで勝ってしまう。
その他の対戦もまるで対人メタしたかのような相性差であっという間に優勝してしまった。

さて午前11時に始まったこのイベントだったが、終わったのは午後7時。
物販は午後6時までしか開いて居ないため、サイドイベントに出続ける事はこのGENCONを楽しみ尽くす理に適っていないと判断した。
マジックの会場は24時間開いているのだけれど、前日までの疲れが体に見えない疲労を蓄積しているかも知れず、旅先で突然体調を崩すのは本当に避けたい事態だったから、サークルセンターモールでアジアンチャオという店のアジア料理を食べて就寝。
自分が誕生日をマジックしながら迎えるっていうのも、ちょっと違うなって思えた。
この日はマジックがメインだったからあまり旅の面白さについて書くことは少ない。
でも8月15日のようなハプニングについては本当にもうゴメンだよ。
濡れネズミのようにホテルに退散した。
8月16日(木)
ワシントン晴れ。インディアナポリス快晴。私の気分だけ、雨。
ヒルトンホテルの旅人を包み込む最高のサービスを値段相応に享受してからワシントンレーガン空港に向かう。
空港連絡バスに乗ったのだが無料だった。ひょっとしたら昨夜も無料バスがあったのかも知れない。
しかし極度の疲労と広すぎる空港からヒルトン連絡バスを探す気力は無かった。
空港で朝食を終えると朝6時にも関わらず既に持ち物検査には長蛇の列があった。もう1杯オレンジジュースを飲んでいたら出発の便に間に合うか怪しかった。
やはり世界はバカンスだ。朝食を終えて搭乗時刻までは1時間半の余裕を持っていたはずなのに、ゲートを潜るとそれほど待たされずに搭乗出来た。
という事はこのゲートを潜るまでに1時間以上も並んでいたという事になる。
アメリカの飛行機に乗る場合、余裕はいくらあっても良い。今回の旅の教訓だ。
例え時間を持て余しても、その使い方は無限にある。
日本には無いお店やサービスを探したり、面白そうな人や綺麗な人に声を掛けて実践型英会話教室(そう思ってるのは自分側だけ)を始めたり。
暇している時間は無く、人生は短いと感じる。

午前10時過ぎにインディアナポリス空港に到着。
そろそろ会場ではプレイヤーミーティングが行われ、1回戦の準備をしている頃だろう。
とりあえず航空会社が亡くした我々の荷物を、ユナイテッド航空のバゲッジエリアにあるか確認しに行くと、幸運にも発見出来た。
ユナイテッド航空のカスタマーはこれまで年を召した女性ばかりで、視覚的に癒されるという事は無かったが、インディアナポリス空港のユナイテッド航空カスタマーは綺麗な女性だった。
素敵な笑顔をもらって少し元気が出た。

タクシーで会場そばのホテルに向かい、荷物を整理して会場に向かう。
本来であれば受け取れたGENCONバッジも、受け取り時間が過ぎて貰えない。
wizardsの人とコンタクトを取ろうにも、皆バッジが必要な会場内に居るので買うしかない。
屈辱の80ドル、余計な出費だ。経緯が経緯なだけに、支払いに額面以上の悔しさを感じる。
バッジを「買い」、会場センターを散策すると広過ぎて迷子になる事2~3回。
歩いてみて分かったのだが、このメイン会場の広さは普通のグランプリ会場4~5個に相当する。
メイン会場は1Fなのだが、さらに2F以上や併設ホテル、空中道路でつながっている近隣ホテルの部屋などいたる所も会場だった。
そして時間や曜日によって開催イベントなどが異なるため、GENCON4日間でその全てを回りきるのは実質不可能だ。
4日間通しで同一のゲームが行われるマジックや物販の方が珍しいといった具合だろう。

GENCON初日のこの日は会場の把握と、FNM選手権の見物、物販の確認と他の日本勢の確認が主な行動だった。
書く順番が前後したが、バッジを手に入れた我々が真っ先にした行動が、FNM選手権への途中参加が出来ないかの確認だ。
既に第2Rが始まっているとは言え、日本を発つ前に斉藤友晴にスタンのデッキをシェアしてもらっている以上、途中参加であっても何かの成果は残したい。
しかし遅れた我らにヘッドジャッジが返した言葉は「GENCONを楽しんで行って、どうぞ(FNM選手権は無理)」だった。
覚悟していたとは言え、やはり温情無しの判決に心が痛む。
やり切れないが受け入れるしか無く、サイドイベントや面白そうな事を探す方が時間を有意義に使えるはずなので会場を散策して情報収集を行う。
この時、日本代表チームが我々と同じく乗り継ぎに失敗し、出場が危ぶまれている事を知った。
彼らは明日の金曜からなので、間に合わなかった我々と同じ思いはして欲しくない。
どうか間に合って欲しいと思ったのは良く憶えている。

FNM選手権の方は初日を通過出来た日本勢は誰もおらず、その後ホテルで相部屋になる他の2名の方とご挨拶した。
彼らは大阪出身で人当たりが良く、今まで知り合って来たどの大阪人よりマナーが立派で穏やかな紳士だった。
大阪に御住まいの方には申し訳無いが、今まで「大阪人=ウルサイ」が当たり前だった私にとってこれも一つの異文化交流の成果だった。
食事はやはり美味しくないが、GENCONの派手なお祭り感が寂しさを払拭してくれる。
とにかく溜まった疲れを癒すべく、ベッドに身を預けて初日が終わった。
マジックにおいて、一番の強敵とは何か。
しばしば議論されるこの問いに最も多くの割合で回答され、しかしジョークのように聞こえる答えがこれだ。
「0回戦」

そう。第1Rのテーブルに着くまでが最も困難な事なのだ。
ここまで書くことで私がFNM選手権でどのような結果だったのか、安易に知ることが出来る。
つまり冒頭のネタバレよろしく、0回戦敗退である。

8月15日(水)
朝から大変な目にあった。
移動日であるこの日、余裕を持って新千歳空港に向かうと、今回一緒に同じ便に乗るO田君からメールが来る。
「やばいです。部屋にパスポート忘れた」
えー、そんな漫画みたいな…。
時計を確認しつつ助言を行い、空港~西岡のタクシー往復というぶっぱをさせてギリギリ間に合わせた。
良かった、これでちゃんとアメリカに行ける。
ところが残念。そうではなかったのだ。
成田に着くとアメリカ・ワシントンダレス行きの便の離陸時間が40分も遅れた。嫌な予感がする。
通常、大陸間移動の便では多少離陸時間が遅れてもフライト中に速度を増して遅れた分をチャラにする。
しかし到着は1時間も遅れた。

ワシントンダレスからはインディアナポリス空港まで国内線で乗り継ぎする。
席が最後尾の案内で、ワシントンへ到着が遅れ、おりしも世界はバカンスの季節。
非米国民専用の入国カウンターには見た事も無い長蛇の列が出来ており、そこを通過するのに2時間半もかかってしまった。
入国審査が終わる頃には乗り継ぎ便が発った後で、我々は違う選択肢を用意しなければならなかった。
時刻は既に午後6時半を過ぎ、ユナイテッド航空のカスタマーの列に並ぶ。
30分ほどで我々の番がやって来て、違う便をよこせと要求を伝えるも、大量に出た遅れのため次の便は翌朝9時の便だと抜かす。
FNM選手権予選の参加受け付けも午前9時。
それでは間に合わないのだと伝え、散々交渉を行って何とか引き出した妥協案が、近くの小さい空港(ワシントンレーガン)から違う航空会社(USエアウェイズ)の夜の便に乗って現地入りするというプラン。
とりあえず間に合うならと、藁にもすがる思いでその案に乗る。
カスタマーのオバさんに「手荷物受け取りの5番カウンターで受け取って行け」と言われ、5番カウンターにバスで向かう。
空港内の目的地への移動は基本的にバスであり、ワシントンダレス国際空港は広過ぎる。
5番カウンターで荷物を待つがさっぱりやって来ない。
仕方ないのでユナイテッド航空の手荷物受け取りカスタマーに問い合わせた。

カスタマー「あと45分したら来るわよ」
そうかそうか。45分後、出て来ない。
カスタマー「もう45分待ってみて。空港内にあるみたいだし、きっと出てくるはずだから」
ほう、そうか?45分後、やっぱり出てこない。
カスタマー「さらに45ふn(略」

まずい。これは荷物を紛失されたようだ。このままでは移動先の空港に間に合わない。
ここで我々は選択を迫られた。荷物が出てくるまでワシントンダレスに居残るか、一旦荷物を捨てワシントンレーガン空港に向かい明日の試合に出るか。
幸いデッキは肌身離さず持っていたので、航空会社が亡くした荷物を捨てて明日への参加を選んだ。
最初のカスタマーの説明によると新たに選んだワシントンレーガン空港はワシントンダレスからタクシーで30分くらいの場所にあるようだ。
22時の飛行機に向け、21時にワシントンを出る。
タクシーの運転手に「え?普通に50分くらい掛かるんだけど…」と言われ、ユナイテッド航空のカスタマーに何度目か分からない殺意を抱いた。
とにかく急げ、ベストを尽くせと余分にチップを叩きつけるとスピードメーターには86の表示が出る。マイルだから138キロくらいか。
空港には21時半過ぎに着き、登場手続きを済ますと急いで指定されたゲートに走る。
よしっ!まだ人が大勢居る、間に合ったー!!
と喜んだのも束の間、目の前を飛び立つ飛行機を指さされ「あれがインディアナポリス行きだよ」と言われた。
つまり…どういうことだってばよ?
USエアウェイズの職員の話によると、『バカンスで』離着陸が送れた上に昼間から皺寄せで大量の乗り継ぎ難民が出たので、滑走路が使える時間(つまりダイヤ)の再編が行われた。
このワシントンレーガン空港は24時間営業じゃない為、離着陸可能時間との調整の結果22時発のインディアナポリス行きの便は約15分出発が早まった。これは1時間以上も前から何度もアナウンスしてただろ?と説明された。
え、知るかよ…この空港来たの数分前だぞ…。
かくして我々のFNM選手権は0回戦敗退という結果に終わった。
その夜はワシントンレーガン空港近くのヒルトンに宿泊した。大会に出られない上、余計な出費だ。荷物も無い。移動疲れと交渉疲れでボロボロだ。
泣きっ面に蜂とはまさにこの事である。
悔しくてそれほど眠れないまま、現地時間の8月16日(木)の朝を迎えた。

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俗

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